階段をおりて、金彩のカップ

階段をおりて、ごきげんようと言いたくて。

ごきげんよう、と言いたくて。

悲しい気持ちから解き放たれたくて。

ときどき、本邸に帰宅することにした。




好きな服を着て、自分がお嬢様だと再認識する瞬間。

子どもの頃から今まで、わたしはずっと引用符の付かないお嬢様だもの。

記念日でもないのにいい服を着ても、思いきり上品に振る舞っても、お嬢様言葉で話しても、白々しく見るひとのない空間。

気取ったふうなわたしが、百貨店やレストラン以外で気分よく過ごせる、新しい居場所。



そして、ときどき暗い湖に浸かってしまうわたしに、お茶を淹れたからいらっしゃい、と呼び戻してくれる、あたたかい家族とおうち。





許されない思いはやはり許されなかった。
二度とあの手に触れられないことが、あの声に呼ばれないことが、わたしを数百日も苦しめている。

昨夜、あのひとと目を合わせて話す夢を見た。
きっとそれは、再び訪れることのない瞬間。



伊織さんの日誌。
『どんなにうらやましくても、絶対に叶えられないというのはもどかしいものです。』



その"もどかしい"気持ちに苛まれるたび、鉛のような冷たく硬い心臓を、温かく血の通ったものに治してくれる場所。



わたしの奥底の湖に日があたるまで、ただ見守ってほしい。



"帰りたい場所"がほしい。

ただそれだけなの。